2009年03月18日

人生が二度あれば・・

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友達が急死いたしまして・・16日朝・・心臓麻痺だそうです・・

60歳を少しすぎたあたりでしょうか・・

仕事一途で・・家族思いでした・・

人の死に方は様々ですね・・

よく昔から・・畳の上で死ねたら・・とか

親の死に目にも会えない・・とか

人間として何が満足なのかを問う言葉があります・・

人生として心残りも無く安心して死ねればいいが

こころざし半ばで死ぬ者・・家族や子供のことをあんじながら死ぬ者・・

自分が死んだことが分からず死ぬもの・・


私がはじめて死を見る経験をしたのは曾祖母の死です・・

記憶では・・・昭和40年ごろです・・

当時・・人が長生きするのが悪では無かったと思いますが・・

曾祖母は・・家の離れ部屋でも無かったが別の4畳半ほどの部屋で・・

私が部屋の前を通ると・・しっかりした口調で・・ 00くん大きくなったなあと・・

僕も・・「はい」と・・はにかむ様な・・照れるような感じで・・

しかし・・なんとも表現し難いものが・・

家族があまりかまわないからか・・よけいに・・怖いような・・不気味さが・・

それで・・その場を急いでとおりすぎながら・・

その何日かの後・・OOくん・・

「すまんが・・みずくれるか・・」とお願いされた・・

そのとき僕はとっさに近くにあった器に水を入れ・・

”おそるおそる”水をあげた・・

曾祖母は笑顔で”ありがとうやで”と・・

私が水をあげた数日後に

曾祖母は体を前につんのめるようにして

死んでいました。

なというか・・今は人間の命の尊厳が尊重されるが・・

戦後の復興のなか、高度成長期にかかったじだいに

は、”現役”の人間が当然主役であり、老いぼれて死が近づいているもの

は本人も周りも”やくわり”の”おわり”を案外ドライに考えられたのかも・・

その後経験した死は・・母が死んだり・・同級生・・義父・・

自分の歳が増えるごとに周りの死も増えていく・・


この友達も私は5年前ころからのお付き合いでした・・

1週間前にも仕事の話をしたばかりで本当に突然のことでした。

このかたはある大きな会社で勤務されていましたが

7,8年前ころ?に会社が倒産しました。

その後は今までの経験を生かした仕事を自分でやっていました。

その人柄から友人がすごく多く、

私が魚や流通に無知だったのですがいろいろ教えていただきました。

常に県外企業や優良企業の”くうき”を読んでいるかたでした。

また口癖のように二度目の人生「もう一度花さかすで!」「がんばろら!」と

いつもこちらが元気になるような言葉をかけてくれていました。

奥様にもやさしく買い物にも一緒にいってました。

しかし

急な死に方だったのでご本人はさぞかし無念だっただろう・・

それがわかっていれば奥さんに伝えておきたかったこと・・

片付けておきたかったこと・・たくさんあったのでは。

苦しいとき、悲しいとき自分は不幸だと思ったとき

”人生が二度あれば”とは誰もが思ったことがあるだろう・・


しかし死んでしまえばそれさえも思えない・・


苦しい、悲しいは生きていることの証か・・


face01死に方に基本はありませんが悔いが無ければ良しとしましょうか・・

ik_01NISHIHAMAほるもん

ik_20さあ!今日からまた元気出してがんばります!

ik_204月1日より新年度スタートです!

当店も新しくメニューの追加入れ替えなどで

新年度をスタートしますのでよろしくお願いしま~す。




























  


Posted by Nishihamaほるもん at 10:08Comments(0)